日本最北の延喜式内社として1220年の歴史を持つ、紫波町の志賀理和氣神社。境内には「紫波」の由来となる赤石がまつられており、古くから「赤石神社」「赤石さん」の呼び名で親しまれている。
延暦23(804)年、坂上田村麻呂が東北開拓の守護神として経津主命(ふつぬしのみこと)と武甕槌命(たけみかづちのみこと)を勧請したことが始まり。以来、樋爪氏や斯波氏ら歴代領主から手厚い保護を受け、8代盛岡藩主の南部利視は「御社はとまれかくまれ 志賀理和気 我が十郡の国のみをさき」と和歌を献じ、社殿を造営したことでも知られる。
北上川の治水事業に伴い、令和3年に境内を遷座、社殿も建て替えられた。ヒノキの香り漂う真新しい拝殿が参拝客を迎えてくれる。
(いわにちリビングun 2024年12月28日号掲載 「御朱印」特集より)